カラーセラピーの起源・歴史

カラーセラピーは、古代エジプト時代、 ヘリオポリスで行われていたヘリオセラピー(太陽療法)が起源と言われ、 光やプリズムの色光を浴びたり、神殿は、各部屋ごとに色ガラスによって、 特定の色の光が差し込むように作られていました。
また、クリスタルや宝石を身に纏うことで、健康と美と運気を手に入れようとしていました。

古代ギリシャ時代、ヒポクラテスやピタゴラスは、病気の治療に色を使っていました。
プラトンは「混色して新しい色を作り出すことは神に対する冒涜行為」、 アリストテレスは「すべての有彩色は白と黒の間にある」と述べ書物に残し、 以後のヨーロッパの色彩文化に多大な影響を与えます。
また、ギリシャ時代は、この世界の物質は、 火・水・風・地の4つの元素で構成されていとする「四元素思想」が支持されていました。

西暦元年頃、ヒポクラテス医学を元に、セルサスは医学書8巻を書きました。
彼の治療は、色を意識して行われていたと言われています。
多種多様な花を使って、黒、緑、赤、白の膏薬を処方しました。
赤の膏薬は切り傷を急速に癒し、黄色はアヤメ油を使ったサフランの膏薬を頭に塗ると眠りを誘い、心を鎮静させることを突き止めています。
当時の療法は、現代の対処療法とは異なり、同種療法が行われていました。
同種療法(Homeopathy)は、健康体に大量に与えると、その病気に似た症状を起こす薬品をその病気の患者に少量与えて治療する方法です。

ローマ時代になると、ヒポクラテス医学と四元素の考え方をベースに、ガレノス(ガレン)は、 人間の体液は血液を基本に「血液(赤)、粘液(青)、黄胆汁、黒胆汁」の4つから成り、そのバランスが崩れると病気になるとする四体液説を継承し発展させます。

中世ヨーロッパでは、日光浴にたよらない色彩療法の方法として、色の布を用い、初期の医学では、色彩媒体として、宝石や着色ガラスを用いて、色と光を利用しました。
教会のステンドグラスの赤、赤紫、緑、黄の透過色が病人を治すと考えられ、その色光の効用は、祈りと音楽(音響療法)で高められたと言われています。
このことは、後の19世紀に、色光療法を研究したアメリカの医師エドウィン・バビットに影響を与えます。



一方、古代インドのアーユルヴェーダでは、万物は、 空風火水土の五大元素によって成り立っていると考えられ、 人間の体質を分類するのにも用いられて来ました。

五大元素のうち2つの元素が組み合わさった

「ヴァータ」、「ピッタ」、「カパ」
3つのドーシャ(エネルギー)体質というのがあり、その3つに対応する色水や色粉を用いた治療が行われていました。

ヨーガでは、チャクラと呼ばれているエネルギーセンターが脊柱に沿ってあると考えられ、 空風火水土の五大元素を超えた2つのチャクラを加えて、7大チャクラと呼ばれています。

後に、虹の7つの色が対応されて、チャクラシステムと呼ばれるようになります。

C・G・ユングは、7大チャクラについて「人間の意識の門で、大宇宙、霊、魂からの諸々のエネルギーを受け容れる中枢である」と言っています。
7つのチャクラは、西洋医学の内分泌腺との関係するのではないか?という見方もあるようです。



また、古代中国では、万物は、木・火・土・金・水の5つの元素からなるという「五行思想」により、 臓器、感情、季節、方角、そして色も全て5つに分けられていました。
青筋が立っている人は神経質で怒りっぽく、顔に赤みがある時は循環器の不調、黄色みがある時は消化器系の不調、かさついた白い肌は結核など肺の病気、顔がどす黒い時は腎の衰弱で透析が長くなると表れやすいと言われています。


古代では、各地域において、「色彩」には魔力があり、特別なものとして、治療に用いられていました。

ルネサンス期以降のカラーセラピー

神秘療法だったカラーセラピーは、姿を消し、治療は西洋医学が中心になりました。
ルネサンス期以後、ヨーロッパやアメリカで、色彩を科学的に研究する人たちが登場します。



色彩の研究者たち
  • アイザック・ニュートン 「光学」1703年
  • ヨハン・W・ゲーテ 「色彩論」1810年
  • ジョージ・フィールド「色彩学:クロマトグラフィー」1835年
  • ミッシェル・E・シュブルール「色の同時対比の法則」1839年
  • エバルト・ヘーリング「色の自然な体系」1905年
  • アルバート・H・マンセル「色彩表記」1905年
  • フレンドリッヒ・オストワルト「色彩の調和」1918年
  • ヨハネス・イッテン「色彩論」1920年代,1961年
※写真は、ドイツのシュタイナー学校のホール
そして、19世紀後半になると、再び神秘療法が見直されます。
アメリカの医師エドウィン・バビットは、1878年に「光と色の原理」という本を出版したカラーヒーリングの先駆者の一人です。
バビットは色を使った治療を行うために、様々な装置を考案しました。
しかし、当時のアメリカは、西洋医学以外の療法は認められておらず、本は絶版となります。

また、オーストリアの人哲学者で神秘主義者のルドルフ・シュタイナーは、 ゲーテ研究を行い、霊的な教えを行う際に色を用いました。

シュタイナーは、科学者としての教育を受けながら、物質世界の概念だけでは説明できない霊的なできごとを体験しました。
後に、「人智学」の基礎を築き、シュタイナー学校が設立されます。
現在は、ヨーロッパの各地や日本にもシュタイナー学校があり、子供の教育に色彩が取り入れられています。

そして、ニューエイジ思想やヒッピームーブメントが盛んになった1970年代、 アメリカや日本でも代替療法がブームとなり、様々なヒーリングや神秘療法が取り入れられるようになりました。
そして、イギリスやドイツなどで、体系化された様々な療法が広がりました。
カラーセラピーにおいては、イギリスのテオ・ギンベルがゲーテやシュタイナーの影響を受けながらも、 古代の奥義に従い、彼独自のカラーセラピーを編み出しました。

現代では、先人の編み出した様々な体系をもとに、色光をチャクラやツボに当てる色光療法やツボに色のシールを貼る療法、 色彩心理学を基に、心と体の健康を目的としたカラーセラピーなどが研究されるようになりました。

最近では、色を使ったカウンセリングと色の効果を使って心に働きかけるカラーヒーリングが一連のセッションになった様々なカラーセラピーシステムが開発されています。

※参考書籍:色彩生命論/野村順一著(住宅新報社)、カラーヒーリング/ステファニー・ノリス著(産調出版)、色彩療法/テオ・ギンベル著(フレグランスジャーナル社)